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お知らせ

コーポレート・レピュテーション その52

サッカー日本代表の新監督に就任したバヒド・ハリルホジッチ監督の日本代表メンバー発表会見が異例づくめと話題になっています。

昨年2014年6月のブラジルW杯の惨敗後、8月にアギーレ新監督が就任しましたが、八百長疑惑をめぐりスペインの検察当局から告発されたとして、今年2015年2月、契約解除。

ロシアで開催される2018ワールドカップに向けての出鼻をくじかれた形の日本サッカー協会は新監督にバヒド・ハリルホジッチ氏を指名しました。

そのハリルホジッチ監督の初めての代表招集会見が発表方法、大量選出など異例づくめで行われました。

トップの不祥事に急遽社長に任命された人が下がる士気をあげるためにその思いを「スタンドマイクの前に立ち、約17分間の独演会」するのは心情としてはよくわかりますよね。

で幕開け。選手リストを手にしたハリルホジッチ監督は、モニターを使って選手を紹介した。自ら考案した演出で、会見を盛り上げた。

今までやられたことがない方法での「発表方法」で監督個人の色を早急に明確に出して、まだ見ぬ知らない「有能な社員」を「大量選出」してその能力を確認したいという意図も考えてみればよくわかるのではないでしょうか。

新社長はさまざまなことをやりたがるものですが、最も肝要なのは「初戦」ではないでしょうかね。

初戦の大事さは勝ち負けはもちろんありますが、「なにをやりたいのか」「どうしたいのか」そして、そのしようとすることは「我が社にあっているのか?」を社員が確認する場になるからです。

そういう意味では初戦は運や選手のコンディションや監督の意図することの浸透度合いなどが複雑に絡み合い影響し合う、推測がもっとも難しい試合になります。

サッカー日本代表でいえば、企業でいえば上場企業のトップ層に位置するでしょうから、これらにマスコミやサポーターの見方や思いが加わると、なおいっそう想像が難しくなります。

その推測しがたい初戦をどう戦うかが、急遽「社長」に登板となったハリルホジッチ氏の運命を決めるのでしょう。

「新社長」の初戦は3月27日の国際親善試合・チュニジア戦、すぐあとの31日にウズベキスタン戦となります。

見どころは勝ち負けではなく、ハリルホジッチ新監督の今後の命運。乞うご期待です。

コーポレート・レピュテーション その52

ルミネによる「女性応援CM」動画が炎上し、ルミネが謝罪文を掲載したとニュースになっています。

株式会社ルミネのお詫び
www.lumine.ne.jp/topics/topics_details.html?article_no=183

この度は、弊社の動画においてご不快に思われる表現がありましたことを深くお詫び申し上げます。

今後はこのようなことのないよう、十分に注意してまいります。

2015/03/20

このルミネの「女性応援CM」動画、もうご覧になりましたか?

すでに非公開になっていますので動画の詳細はこちら「ねとらぼ」でご覧いただくとして
nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1503/20/news077.html

ルミネの「女性応援CM」動画は、「働く女性たちを応援するスペシャルムービー」というシリーズで、会社勤めの女性が、上司らしき人物に容姿の地味さを皮肉られ「変わらなきゃ」と一念発起するという内容。

「ねとらぼ」の記事の下にはすでに1000件近いコメントが書き込まれています。

その中からいくつか紹介すると

◆あれで応援してたつもりだったのに驚き

◆動画見たけど、あまり趣味の良い描写じゃないなあ、という感想でした。

◆「需要がない」人生を送り続けていたおばさん会社員です。何かをキッカケに変わろうとするのも悪いことじゃないし、職場ですから仕事を一番に考えるのが当たり前なので男性のちょっと失礼なツッコミを過剰に気にしてもしかたないと思うし。自分の軸がしっかりしていればいいんじゃないでしょうか。。。

などなど賛否も含めて多数の意見が寄せられています。

ルミネが”女性応援CM”炎上で謝罪 YouTubeの動画も非公開に

ねとらぼ 3月20日(金)
nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1503/20/news077.html

主人公がけなされて自分に疑問を持つ第1話と、そのままの主人公が素敵な男性に好かれるという第2話では、メッセージの印象はだいぶ変わってきます。

ある意味で、第1話は第2話への伏線として、主人公がさげすまれる状況をわざと誇張しているようにも見えます。

しかしネットの反応としては、第1話の、男性のセクハラ的な言動がまかり通り、それに主人公が迎合しようとしている(ように見える)内容に非難が殺到。炎上状態となりました。

とあります。

このあたりの境目の部分、境目とは「セクハラ的言動」部分と「ドラマとしての連続した展開」部分のところ、ここが現代の世界では微妙で何とも表現しがたい曖昧なところになっているのでしょう。

あるときはそれが炎上し、あるときは見向きもされずにスルーされる。そこには一定の明確で定量的な基準はなく、何かのきっかけや拍子に取り上げられたりして炎上する。

あえて炎上させて話題をさらってアクセスを集めることを炎上商法などいいますが、もちろんルミネの「女性応援CM」動画があえて炎上を狙ったものではないでしょう。

それは即座に謝罪文を出し、動画を非公開にしている点でも疑いはなかろうと思います。

ここでこの問題を取り上げるのは、先に触れた境目の部分の話で、「セクハラ的言動」の防止においてはいかなる言動がセクハラ的言動にあたるかを示す必要がありますが、極端な言い方をすれば、それを示すことさえも、「セクハラ的言動」とされ始めると、いかなる「セクハラ的言動」も表現できないということになっていきます。

差別用語といわれるものが存在します。この差別用語も明確な基準があるわけではない。しかし、差別的だとみなして使用が自粛され、いっさい使われなくなってしまうことが差別のは以上とは必ずしもつながらない。

差別用語は使われなくなっているが、厳然と差別があるともいえるわけです。

一方で、差別用語を使わなくなることで徐々に実際の差別の意識が薄れていき、差別がなくなっていく方向に向かうという良い方向での作用もきっとあるのでしょう。

ただし、差別を真になくすためには差別とはいかなるものか、どういう過程や意識から差別用語が生まれてきたのかなどは言葉として実際に表現して見つめていかなくてはならないのも事実でしょう。

ルミネの「女性応援CM」動画においても、セクハラ的言動を描きながら、それを伏線として、第2話以降でどうドラマがどう展開していくかという視点から第1話の「セクハラ的言動」を捉えなおすと、炎上したときに言われた「なぜ男の需要に応えなければいけないのか」「女性差別だ」の解釈も変わっていく可能性も十分にあるということです。

ねとらぼが指摘するように

第1話の、男性のセクハラ的な言動がまかり通り、それに主人公が迎合しようとしている(ように見える)内容

は、

1話は第2話への伏線として、主人公がさげすまれる状況をわざと誇張しているようにも見えます

ドラマにおいて、また小説などにおいても、「悪」を強調してデフォルメすることによって、より「善」を引き立たせる手法は古典的な手法としてよく使用されます。

そういう意味でドラマを完結する前段階で非難し始めると、そもそもドラマが転がっていかないという問題にもなっていきます。

作成者の意図は最後の完結部分とあるとするなら、その前段で出てくる「悪」はデフォルメされればされるほどよりおもしろく感動的にもなりうるのではないか。

しかし、完結部分を明確に言うために強調した前段の「悪」の部分だけを切り取って批判すると、もうドラマも小説も、物語というものは成立しなくなってしまう。

加えて、「ドラマとしての連続した展開」のところではなく、一部の場面や個々の言動を取り上げて言い始めたら、健全な言論活動自体をも封じて殺してしまうことになるのではないかと少々心配にもなります。

刑事ドラマで殺人が起こったとき、「けしからん、人を殺すなんて」とクレームの電話をかける人はいません。

ドラマの「おしん」で主人公を苛め抜く人をけしからんと殺しに行く人がいないように、日常生活でありふれて起こっている現実を物語という器を借りて表現している以上、悪は悪としてより明確に描かなくてはならない。

しかし、それが「ドラマとしての連続した展開」の中で捉えられず、場面場面で差別的だ、セクハラだと批判され始めて、表現するものが炎上するのは嫌だからとそうした表現を自粛するという形に収まっていったとき、それは果たしてセクハラや差別がなくなったということなのかどうか。

この問題はこれから世界的な問題になっていくと考えられる「忘れられる権利」などについてもかかわってくる問題です。

日本の話でいえば、今年に入ってからいわゆる「忘れられる権利」として注目されている裁判で大阪高裁が原告の請求を退け、一審の京都地裁判決を支持、控訴を棄却した裁判がありました。

裁判で争われているのは、ヤフーのWeb検索で自身の名前を検索すると過去の逮捕記事やその一部が表示されるのは名誉棄損とするもの。

この人は2012年12月に盗撮の容疑で逮捕され、翌年4月に執行猶予付きの有罪判決が下されたのですが、その後も検索サイトでこの方の名前を検索すると、逮捕記事を転載したサイトのアドレスや記事が一部が表示される。

端的にいえば、それらは刑事罰も明確になったのであるから「忘れられる権利」があるのではないかということですね。

こうした原告の主張に対して大阪高裁の裁判長は

検索結果とともに表示されるサイトの内容の抜粋はヤフー側が表示したもので、ヤフーによる名誉棄損にあたるとしたものの、逮捕から長い期間が過ぎていないことから公共の利害に関わる

として違法性を否定したということです。

執行猶予付きの有罪判決が下されたことで事件としては終了になるわけですが、裁判所は「公共の利害に関わる」として、それはやむを得ないとしたということでしょう。

では公共の利害とはいかなるものか?」
「逮捕から長い期間」が過たら削除が認められるのか?
いったいその「長い期間」とはどれくらいを指すのか?

などについては裁判所だけでなく、これから世界的な潮流によって決まってくるものなのでしょう。

少年犯罪等で残虐な事件が報じられていますが、少年法に守られて「死刑」を宣告されないことで巻き起こる議論もこれらと同種の話に私には見えます。

批判や非難も含めて裁判等で「人を裁く」のなかなか難しく、裁判員裁判等に指名された方の話を聞くにつけ、その葛藤を思わずにはいられません。

しかし、現状、ネットでは特に基準がない中で、それぞれがそれぞれの立場で即座に判断を下し、ネットで発信し、それらの声が集約されて断罪され、あるものは謝罪に追い込まれ、あるものは消えていかなくてはならなくなっています。

忘れられる権利が言論の自由との関係でその判断が難しいと言われるのはこのためで、企業が今回のルミネの「女性応援CM」動画などに影響されて、すくみ、自粛したり、ある種の枠を設けて表現するようになっていくと、ネット社会というものもずいぶん面白みがないものになり得ると言えるのではないでしょうかね。

面白みなどというと、「セクハラ的言動」がなされているのになにが面白みだという批判も飛んできそうな勢いです。

もうしばらく前になりますがNHKの大河ドラマ2012「平清盛」の放送中に「画面が暗くて見づらい」とか「平家の人物の名前が似たような名前ばかりでわかりづらい」とか「天皇家」もしくは「皇室」に相当する表現として「王家」を使うのはけしからんなどという意見が氾濫し、 放送序盤から兵庫県知事も大々的に批判をするなどして、ドラマの内容よりもそちらの方の関心が高まって、結果的に平均視聴率も過去の大河ドラマと比べても低くなりました。

こうした結果としての低視聴率が出ると、表現者はどこかで萎縮したりして、新しい試みもできにくくなっていくでしょう。

そんな中でも新しい試みを表現していくのが表現者の務めという意見もあるでしょうが、ルミネなんかは今後動画を作るのにより慎重にならざるを得ないでしょう。

表現者と書きましたが、これがドラマを作る人とか小説を書く人だけが当てはまるのではありません。

組織や企業だってある種の表現者です。

ネット社会における一定のルールや基準作りができるまで、なお数十年かかると思いますが、今回の企業発信の表現の是非について、どうぞ委縮せずに、勝手な自粛をせずにチャレンジしていただきたいと願います。

当時のNHK大河ドラマ「平清盛」について以下のような記事があります。

2012年01月25日
webronza.asahi.com/culture/themes/2912012400002.html

NHKの大河ドラマ『平清盛』」を見た井戸敏三・兵庫県知事が「画面(映像)が汚い。鮮やかさがない」と酷評したことが尾を引いている。

平清盛の「地元」として観光客誘致を進める兵庫県の知事があえて口をはさんだのだ。

NHKにとっては「時代の空気感を出すため」、ハイビジョンの映像を調整したことが裏目に出たが、「汚いと思われても、画面は変更する予定はない」と応じている。

それでも知事は最近、「世論が『やっぱりどうかな』ということになっていけば、見直さざるを得ない。そういう動きになることを期待している」と返して、いささか大げさな事態になってきた。

世論は勘案すべき対象に入るものでしょう。

しかし、世論がいつも正しいとは限らない。

先の大戦において、世論は、世の中の多くの人は戦争に賛成していました。

敗戦後「大本営発表しか知らされていなかった」というエクスキューズが一般的ですが、世論なんていうものは決してつかむことができない虚像です。責任は取らないから。

正しいと思うことを正しいと思う方法で実施する。それしかありません。

世論の動向は考慮に入れるべきですが、考慮に入れてもやっぱり正しいと思えれば、世論に逆らっても進むべきではないか、そんなふうに思っています。

世論は困っていても助けてはくれないのだから。

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