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お知らせ

コーポレート・レピュテーション その64

野村証券の社員(39歳)が元交際相手の女性(21歳)になりすまして出会い系サイトに名前と顔写真を掲載し、「刺激がほしい」などと書き込みをした疑いが持たれて逮捕されました。

男は「ストーカー扱いされたことへの嫌がらせだった」と容疑を認めていると報道されていました。

たまたまこのニュースを数人の男女で見ていたのですが、「怖いねえ」とか「写真撮られるのも気をつけなきゃあ」とか「どうしてすぐ足がつくようなことをおおっぴらにやるのかなあ」….etc

さまざまな意見が飛び交っていましたが、私だけが【男性39歳・女性21歳】という年の差のところに引っかかりました。
最近では珍しくもないのでしょうか。

容疑者の男性が「ストーカー扱いされたことへの嫌がらせだった」と言っているので、女性側は実は交際している「つもり」はなかったというのもありえそうです。

例外はあると認めるとしても、基本的に稀有なケース【男性39歳・女性21歳】では、トラブルが起こりやすいのが世の中の常です。

お気をつけください。といって、なにに気をつけるんだってことなんですけどね。

コーポレート・レピュテーション その64

しばらく前にウォール・ストリート・ジャーナルに「勤務評価」の記事が出ていました。

勤務評価は逆効果? 社員の士気損なうケースも
ウォール・ストリート・ジャーナル 4月27日
jp.wsj.com/articles/SB11702692451560034542404580603371379484964

・・・企業が社内の階級を取り払ったり、社員が自分の勤務スケジュールを決められるようにしたりするなどの人事管理改革を進める中、勤務成績を評価する制度――5段階評価や「目標達成(on target)」などの分類――はしぶとく生き残っている。

ギャップやアドビシステムズ、マイクロソフトといった企業では、社員同士の連携を妨げたり社員の不安を煽ったりしているとの判断から、成績評価は廃止された。

その一方で、なかなか廃止に踏み切れない企業もある。

インテルは長い間、「極めて優秀(outstanding)」から「要改善(improvement required)」までの4段階で約10万5000人の社員を評価・ランク付けしてきた。

人事ディレクターのデブラ・ジョンソン氏によると、毎年、社員の7割が下から2番目の評価「目標達成(successful)」を受けており、その多くの社員の士気が低下する傾向にあった。

ジョンソン氏らはこうした社員を「歩く負傷者」と呼んでいたそうだ・・・

とまあ、古今より常に不満が伴う評価制度について、一時ブームであった成果主義の効果についての知見が最近ではあちこちで語られるようになりました。

よりモチベーションが高まり、インセンティブを効かせるために多くの企業が導入した成果主義評価ですが、記事の最後には「社員が悪い評価をつけられれば、会社への貢献度は低下すると指摘する専門家もいる」と記し、成果主義制度が本末転倒に陥るのは日本だけでなく、アメリカでも同様のようです。

日本経済新聞は昨年、

成果主義は下火に 企業、個人の働きどう評価
2014/3/22
www.nikkei.com/article/DGXDZO68619030Q4A320C1W14001/

とポスト成果主義を題材にした記事を出しています。

新しいところでは、ダイアモンド社が

職場の生産性を上げる「ギスギスしない成果主義」とは?
呉 琢磨 2015年3月25日
diamond.jp/articles/-/68920

として「社員のモチベーションが高まる”納得感ある評価制度”の作り方」という記事を特集しています。

成果制度は良き制度として、その運用の仕方に焦点を当てた記事です。

記事は日本で成果主義を導入した多くの企業で「オフィス内の空気がギスギス」して、「組織がチーム力を失い、競争力の低下を招い」たと指摘、

・・・企業の人事を長年研究しているリクルートワークス研究所の大久保幸夫所長によれば、アメリカの労働環境で発祥した成果主義の概念をそのまま日本企業に”移植”するという発想には、根本的な無理があるという。

「会社という機能集団の本質からすれば、『組織に貢献した社員に適切に報いる』という成果主義の原理原則は決して間違っていません。

しかし、それを現実的に運用するのは非常に難しい。そもそも日本企業には”チームで働く”ことを前提とした風土があり、社員が力を合わせることが競争力の源泉でした。

にもかかわらず、成果主義で仕事の成果を100%個人に帰着させようとすれば、そこに無理が生じる。

また、短期スパンで数字をあげることに腐心すると社員の考え方が刹那的になり、中長期的な視野でビジネスを発展させる取り組みが減るし、部下や新人の育成も疎かになってしまう。これは企業の屋台骨を揺るがす重大なリスクです」

企業は、どう成果主義と付き合うべきなのか。その答えはぜひ記事を読んでください。
diamond.jp/articles/-/68920

勤務評価としての成果主義制度が声高に言われ始めたのは、バブル崩壊後の1990年代から従来の年功序列型の組織形態が崩れ始めた時代背景とリンクしています。

その前の時代の高度成長時代からGDPがアメリカに次ぐほど大きくなったバブル時代までは、機能集団であるはずの会社組織が日本では同時に運命共同体としての性格を帯び、世界でも稀な「共同体的機能集団」として家庭も顧みず、サービス残業もいとわない企業戦士・会社人間となる日本人独特の行動様式を生み、ある種の犠牲の上に目を見張る成長してきたことはかつて小室直樹さんが長年鋭く指摘してきた点でした。

危機の構造―日本社会崩壊のモデル (中公文庫) 小室直樹著
tinyurl.com/6okcm7h

いってみれば、世界を驚かせた急激な日本の急成長を支えた「共同体的機能集団」としての会社をバブル以後、本来の「機能集団」に戻そうとする試みが成果主義の導入であったと私は考えています。

しかし、強固な「共同体的機能集団」が簡単に「機能集団」に変わるわけもなく、企業の家族的共同体的な要素を色濃く残しながら、機能集団となるための成果主義を導入したことで「オフィス内の空気がギスギス」して、「組織がチーム力を失い、競争力の低下を招い」たともいえるのではないでしょうか。

日本は特殊だと声高に叫ぶつもりはないですが、で私はより良い成果主義制度はいかなるものかを考えるよりも、ダイアモンド社の記事にあったようなどう運用するかをもう一度真剣に考えるべきではないかと思います。

成果主義制度の仕組み自体はいくつかのパターンがあるだけで、本質的にはどこも一緒と考えてもいいでしょう。

どこもたいていは仕組みが一緒なら、その仕組みとどう付き合うかのほうに重点を置くべきでしょう。

世の中にはすでにこの成果主義とどう向き合うかの話は盛んに語られていますから、ここでは思い切ってまったく別の視点から成果主義を含む新しい試みや仕組みを導入する際の組織の雰囲気を考えてみたいと思います。

こうしたことを考える際には、会社や組織について研究しているものより別の業界の考え方をものさしにして考えるのがお勧めです。

手元に1998年に出版された正高信男著「いじめを許す心理」という本があります。

正高信男著「いじめを許す心理」
tinyurl.com/p6qo48y

この本に1つグラフが示してあります。

図表17

本の記述に従っていうと、図17がそれにあたります。

この図17は、「いじめを許す心理」著者正高信男氏が「集団としての人間の行動を表現する」ために

社会学でいうところの『限界質量』という考え方を紹介したにすぎないのです。

限界質量ということばは、本来は核物理学の用語で、ウランの量が一定のレベルを超えると急に激しい核反応が生ずるため、核反応を引き起こすのに必要なウランの量を意味していました。

しかし社会学者は物理学用語を借用して、核分裂の連鎖反応と同じように、人間の行動の連鎖反応を表記しようと企てました。

と書いて、この図17を示しています。

図17を見ながらこの先読んでほしいのですが、このグラフでは、横軸に想定される同調者数の全体に占める割合、縦軸には「横軸に対応する割合の者が同調してくれるなら自分も協力しよう」という人の実際の数の全体に占める割合を示しています。

具体的にグラフの数字を見ていきましょう。

今、このグラフのもとになったグループで、例えば何らかのイベントをめざして、とりあえず50%の人々が協力を開始したと仮定してみることにします。

イベントの内容は別に問いません。「今度、コンパをグループ全体で開こう」でもいい。あるいは彼らに強圧的なヒトラーみたいな人物がいて、それに一致協力して抵抗運動を行おうというような深刻なものでも、かまいません。

50%の人が協力しはじめたのですから、グラフ中の同調してくれる人の比率を示す軸、すなわち横軸の50の値の所に注目しなくてはなりません。

そして横軸の50に対応する連続変化曲線上の点に行きあたって、点の示す縦軸の値をたどってみると、36であることが、おわかりいただけるでしょう。

ここから何が読みとれるかというと、50%の人間が協力しようと思った際には、そのなかの36%の者しか実際には協力する意志を持たないということになります。

つまり、協力しはじめたものの、いざふたを開けてみると、「たった50%」しか人が乗らなかった。

「なんだ、これだけなのか」と協力をやめてしまう人が14パーセントいるということが表わされているのです。

むろん、「たった」というのは当事者の主観的印象です。協力をやめた人は、自分が合流にふみきる基準を、もっとたくさんの人が意志の一致をみた状況に置いているのですから、「たった」と感じたに違いないと想像しているのです。

当然、「たった」と感じた人は、協力を中止して去っていってしまうことでしょう。全体の36パーセントだけが、イベントの成就をめざして協力しつづけることになっていきます。

さて、協力する人間が50%から36%に減少したとしましょう。

今度は横軸の36のところに目をやらなくてはなりません。36に対応する曲線の縦軸の値は21です。

ですから協力する者が36%に減ると、実際に協力してもいいと思うのは全体の21%しか、いなくなるという事態に至ります。また15%の人が、去っていきます。

21%の人しか協力しなくなってしまう。すると、さらに協力をよす人間が現われてくることとなる……。

結局、どこまで減るとジリ貧傾向にストップがかかるかというと、最終的に協力傾向の累積分布を表わす連続変化曲線が傾き一の直線と交わる点、図17では13%の人々が協力するという状態まで落ちこんでいって、やっと安定的な均衡が保たれるのです。

13%の者は13%の他者が協力してくれるなら、自分も協力するつもりの人なわけですから、この状態で自分たちだけで、他の者の協力を期待することなく、まとまりを維持していくと予想されます。

これに対して最初に先ほどの50%よりちょっと多めの70%が協力を考えたら、どうなるでしょうか。

70%の人間が協力するなら自分も協力するという人は、図17のグラフより、81%いることがわかります。それゆえ次には、81%の者が共同作業に参加することになると考えられます。

そして81%が協力すると、次には90%が協力を表明する……といったぐあいになって、どんどん協力する人の数は雪だるま式に増えていきます。

どこまで雪だるま式の増加傾向が続くかというと、やはり曲線が傾き一の直線と交わる点ということになってしまう。つまり、94%の人々が協力をするという状態で、安定均衡に達することでしょう。

先ほどのジリ貧に至った時と、もう一度見比べていただきたいと思います。

出発した際の協力した人の率は、20%しか違っていません。にもかかわらず、落ち着いた先では81%のひらきができてしまっているのです。

要するにひとりひとりの行動や態度決定が他人の態度の如何によって左右される場合には、個々人が初めにどう思っているかにたいして差異がなくとも、最後に迎える結果がとんでもないほど対照的なものになる可能性が潜んでいることがわかります。

しかも、われわれが現実に目にするのは、最終局面に限られています。

ジリ貧になったグループと、雪だるまのグループの二つを目のあたりにしたならば、なんと大きな質的差異があるのだという感想を誰もが持つことでしょう。

しかし、内実はほとんど変わりない場合もあることを図17は教えてくれています。

この本は題名が示す通り、学校やクラスで「いじめを許す心理」についての調査結果をまとめた本なのですが、「いじめ」に対して、教室の中で子供たちがどういう心持ちかによって、いじめが常態化するクラスといじめがないクラスに分かれていく過程をわかりやすく示してくれています。

しかし、この図17の「雪だるま式」は組織の新しい制度、新しい経営層、新しい企業の決断などについての組織内の雰囲気がどう醸成されていくかとほぼ同じ過程をたどっていると考えられないでしょうか。

「この度新しく成果主義評価制度を導入します」と経営層が決断し発表した。

もちろん企業の決断はトップ層から決断が下りてくるわけですから、議論の余地はなく実施する以外にはないのですが、その新しい制度について、日本においては社内の従業員の態度が運用に大きく影響を及ぼします。

いわゆる面従腹背というやつですね。

そして、新しい制度について、覆す権限はないにしても、あってなきがごとくの運用を従業員がしてしまう事例はたくさんあるでしょう。

その時、新制度が始まる際の「ひとりひとりの行動や態度決定が他人の態度の如何によって左右される場合、個々人が初めにどう思っているかにたいして差異がなくとも、最後に迎える結果がとんでもないほど対照的なものになる可能性が潜んでいる」ことを図17は示しています。

内実はほとんど変わりない

のにです。

本書では記述が続きます。

その典型が「赤信号みんなで渡ればこわくない」という現象です。

もし他のみんなが交通ルールを守っているのに、一人だけが赤信号を無視すれば、車にはねられたり捕まったりして、たいへん危険で本人にとって多大な損失となります。

ところが、ある程度の人数がまとまって同じことをすれば、反対に利益の方が大きくなってくる。

つまり不正行為を犯す人数が少ないと得にならないが、いったん協力者の数が一定のレベルを超えてしまうと、なだれをうって全員が不正に参画する方向へすすんでしまうことがあるということです。

このことは、図17によって説明可能になっています。

そして第一章で書いたことを再度、思い起こしていただきたいのですが、日本のいじめはまさに「赤信号みんなで渡ればこわくない」型の特徴を有しているのでした。

ですから図17のようなグラフでの説明が、とてもうまくあてはまります。

図17の横軸と縦軸で共に13と94が書かれているところを70と90という数値に置きかえてみることにしましょう。

すると図18のようなパターンが描かれることとなるはずです。

図表18

今、ある乱暴な生徒が特定のクラスメートに、攻撃的なふるまいをくり返したとします。いじめっ子の行動に、多くの生徒は冷たい視線をおくることでしょう。

けれども、あまりあからさまに非難のまなざしを向けると、自分も攻撃の対象にされかねない。巻き添えになるのはごめんだから、とりあえず周囲の様子を見てから態度を決める人間が現われるのも、当然の成り行きです。

そういう傍観派がクラス全体の1割から2割存在するということを、今までの調査から得られた知見は教えてくれていたのでした。

その際、傍観者層が最終的にいじめっ子に対して批判的な勢カヘ合流するか、あるいは傍観的態度を賞くかは、まさに図17で表わした「ジリ貧か、雪だるま式増加か」というダイナミクスで決まるように思えるのです。

もうお気づきのことと思いますが、図17の横軸・縦軸が13と94の点、あるいは図18の70と90の点のほかに、それぞれの図中にはもう一カ所ずつ、変動曲線と傾き一の直線が交わる所が存在します。

図17では(58、58)という座標がそれに当ります。

ここでも人が協力するなら自分も協力を惜しまないという人間が58%いるのですから、理論的には、他の二つの交点と同様に平衡に達しているといえば、達していることに違いはないわけです。

ただし、左右どちらかへほんのわずかでも移行しただけで、あっという間に別の交点のいずれかへ移動してしまうという点で、全く性質を異にしているのです。

いわば、図19の中央のピークの上に乗っかっているボールのように、とても危うい状態でバランスをとろうとしているにすぎません。

図表19

ちょっとでも平衡がくずれると、あっという間に両脇の谷間へころがり落ちてしまう。しかも、いったん落ちると復帰するのは、そうやすやすとできることではありません。

日本企業の社内の雰囲気や特徴は学校内のクラスの雰囲気や特徴とよく似ていますから、企業であっても「赤信号みんなで渡ればこわくない」型の特徴を有していると私は思います。

ゆえに図17のようなグラフでの説明が、とてもうまくあてはまるのではにかと。

新しい制度がうまく運用されて企業の業績に反映するのか、それともジリ貧になるのかに分かれるのも、この図式を理解していないとうまくいかないのではないかと思えるのです。

ちょっとしたことで、

左右どちらかへほんのわずかでも移行しただけで、あっという間に別の交点のいずれかへ移動してしまうという点で、全く性質を異にしているのです

これが恐ろしいところで、それは従業員のレベルや能力にそもそもの際はそれほどないことを意味しています。

ほとんど変わらない社員であるにもかかわらず、じり貧になるか雪だるま式によくなるかに分かれる。

成果主義制度についても、年功序列を廃止し、退職金を廃し、能力に応じて年齢に関係なく、よりモチベーションを高め、インセンティブを効かせるために始めたはずなのに、いつのまにかまるで違うものになっていく可能性を日本企業は有しています。

・「50%の人間が協力しようと思った際には、そのなかの36%の者しか実際には協力する意志を持たない」ということ

・「協力する者が36%に減ると、実際に協力してもいいと思うのは全体の21%しか、いなくなるという事態に至」ること

・この「ジリ貧傾向にストップがかかる」のは、「13%の人々が協力するという状態まで落ちこんでいって、やっと安定的な均衡が保たれる」こと

・「70%の人間が協力するなら自分も協力するという人は、81%いる」こと

・「81%が協力すると、次には90%が協力を表明する……といったぐあいになって、どんどん協力する人の数は雪だるま式に増えて」いくこと

・「どこまで雪だるま式の増加傾向が続くかというと、94%の人々が協力をするという状態で、安定均衡に達する」こと

・「出発した際の協力した人の率は、20%しか違って」いないにもかかわらず、結果は「81%のひらきができてしま」うこと

これらは学校や教室だけでなく、日本の企業や組織においても十分留意される必要があるのではないでしょうか。

出発点はほとんど変わらなくても、結果は180度違うものになりうる。そのことをこのいじめの分析による調査はしめしています。

いや、いじめはいじめで、企業とは関係ないからとおっしゃる方もいるでしょう。

どちらでもかまいません。

しかし、どの企業もほとんど変わり映えのしない成果主義制度を導入しながら、うまく機能している企業とそうでない企業があるのはどうしてなのか。業績にこれほど大きな差が出ているのはなぜなのか。

考えてみる価値はあるのではないでしょうか。

皆さんはどうお考えでしょうか。

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